スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

  • 2012.12.29 Saturday
  • -
  • -
  • -
  • -
  • -
  • by スポンサードリンク

サンフランシスコでお散歩 その13

 久しぶりに書く。

ネットマガジンでの連載なのに、こんなに間を開けてしまっては負け戦なのだが、このサンフランシスコ日記には色々曰くがあるので、それを自分に許さざるをえないのである。

曰くとは何かというと、日記を書き始めたのがサンフランシスコ旅行から1年以上も経ってからのことであることと、既に自分のブログで、大方書きたい事は書いちゃってたので、改めてここに何を書くか、という点において、連載中自分でも意外な程戸惑ったという事でしょうかね。

でも戸惑いながらも。

楽しんでいることは確かである。

そしてこの数日、ここに何か書きたいという気持ちが、ムラムラ高まっていたことも。

 
ポテト姉妹やその友達のジャム屋やスタイリストさんらと行ったこの旅の、なんともあっけらかんとした陽気さに満ちた数日間が、最近どんよりとした現実を目の当たりにした私の心に、愛おしく蘇ってきているのである。

どんよりとした現実とは何かというと、ささやかなボランティアの場において、何につけても深刻に取り組む生真面目な人たちが、他者のあっけらかんとした自由さやこだわらなさに激しく牙を剥いて、どうでもいいような事を責めまくり挙げ句の果てには無能扱いするというような現場を見て殺伐とした気分になったという事なのだが、そんな時私の心には、サンフランシスコにまで来て憧れのレストランに行く日に、とっておきのオシャレをしていたのにも関わらず、何故か歩くとズレ落ちるストッキングを履いていたポテトが、歩く度にそれをたくし上げながらも、たいして気にする素振りも見せない、というあの、心温まる光景が、幾度となく蘇ってきていたのである。


ポテトは決して、こだわりの無い女ではない。

しかしオシャレをしているのにストッキングがズレ落ちるという現実は、決して彼女の心を蝕む事は無かった。
なんだかあっけらかんと、どうでもいいような事の様に対処していた。


恐らく私がボランティアの場で目にした生真面目な人たちが同じ立場に置かれたら、それはもう生きるか死ぬかの大問題なのであり、オシャレをしていたのにストッキングがズレ落ち、尚且つそれが長年待ちに待っていたサンフランシスコ旅行中で、大好きな素敵空間を歩いている最中となれば、それはもう恐らく、切腹に値する様な自責の念なのであり、残念無念おのれの愚かさを呪って七代地獄で焼かれようぞ、とまで思い、同行者までも道連れにして、どす黒い想念の地獄にまっしぐら、という程度が自然なぐらいなんじゃないかな、と思うのである。

深刻さというものは、私にとってはいつも敵なのである。

真剣さと深刻さというものは、全く違うものなのである。

他者の失敗を目にしたり自分が失敗した時には、深刻に受け止めるんじゃなくて、真剣に受け止めるべきだと私は思うのである。

深刻さは、自分や他者を責めさいなみ、自分や他者の存在価値への裁定にまで踏み込む。
でも真剣さは、目の前の失態にだけ目を向けて、それに真摯に対応することにより、創造的な解決策を生み出すばかりでなく、回復の余地は常にあるよ、と教えてくれるのである。

ポテトもさんざん歩きにくそうにしていたが、なんらかの創造的解決を行って、あの悲劇をこともなげに乗り越えていたではないか。

余裕を失い荒廃した心が、互いへの容赦無き残酷な刃となって、凍り付いた様な恐怖政治を構築していたあのボランティアの現場において、サンフランシスコでのポテトの明るさが度々私の心に、春風のごとく去来したのも、無理の無い事であろう。


そんなわけで、懐かしいあのサンフランシスコの旅が、久しぶりに生々しく蘇って来ている。

あの街を知り尽くした愉快な姉妹によってガイドされる様々な名所は、どこも色とりどりで美味しくていい匂いがした。

アメリカの都市の中でも、比較的陰影の深いあの街において、影の領域も愛するあの姉妹の視線は、どこまでも暖かくあっけらかんとしていたように思う。

そのぬくもりに支えられ、陰影の苦手な私もまた、その領域に私なりに深く接することが出来たとも思う。

サンフランシスコにまた行く時には、またあの連中と行きたいな。

天井の高い、曇りガラスのあのカフェで、またあの連中と、コーヒーやワッフルや卵ののっかったトーストに目を輝かせながら、今日はどこへ行くのなんのって、またがやがや話したいな、と思うのである。

 

(終)























サンフランシスコでお散歩 その12

 久しぶりの更新で、いきなりの文句というのもあれなのだが、ひとこと言っておきたい事がある。

ZUNI CAFEに。

ZUNI CAFEというのは、先に触れたシェパニーズの姉妹店で、これまた素晴らしく美味しい料理を出す人気の店である。
個人的には、比較的クラシック、と感じたシェパニーズの料理よりも、エッジィなZUNIの料理の方が私好みであった。

いや、私好みなんて、ひとことで言えるもんじゃない。
私がオーダーした魚料理なんて、どうしてただの魚のフライにお花の香りがするの、というような、感動の方向さえ新しい奇抜な美味しさを味わったし、ポテトのオーダーした菫の花の乗っかったデザートなんて、森に迷い込んだ夕闇の中で、妖精主催の妖精国スイーツ・コンテスト、略して妖精スイコンに遭遇して、一等賞のデザートをご馳走になってるんじゃ、ってくらいの感動モンだった。

様々に斬新な方向に進化しているカリフォルニア・キュイジーヌは、私にとって最も興味をそそられる料理である為、何年にも渡って沢山の店に足を運んできたのであり、そして今のところ一番のカリフォルニア・キュイジーヌ・レストランは、カーメルのミッション・インの前にある薫製の店なのだけれど、ZUNIはそれに並ぶ、新鮮で新たな起源になれるような味を持っている店だと、私は思うのである。


そんな素晴らしいZUNI CAFEであるが。

私にしてみれば致命的とも言える欠点が、あの店にはあるのである。

なのでここで文句を言っておこうと思う。

何についてか。

それは他でもない、あのロケーションについてである。


あのロケーションは、一体なんのマネなのか。


 
    


なんであんな素晴らしいレストランが、荒くれ者の巣窟の、シビック・センターにあるのか。


なんであんな素敵な佇まいのレストランの周りに、割れた火炎瓶のカケラが、沢山落ちているのか。


なんであんな繊細な味の料理を出すレストランの周りのビルの壁に、下品でエッチな落書きが、いっぱい書いてあるのか。



なーーーーんーーーーでーーーーーーーーーなーーーーーのーーーーーーかーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー。



ポテト達と一緒だったからこそ行けたけれど、私ひとりじゃもう、到底無理なのであり、どんなにあそこのお料理をまた食べたいと思ったところで、あんなロケーションにあったんじゃ、今後どうやって辿り着けばいいのか、見当もつかないのである。


初めての来訪であったあの日だって、行きにつかまえたタクシーがレストランの前でいきなりエンコしてしまい何が起こったのかと思いきや、なんと落ちていた火炎瓶のカケラを轢いてパンクしてしまったのであり、その瞬間タクシーの窓から街の様子を見た私は、とっさに瓶のカケラは罠なのでは、とさえ思ったのである。

パンクして動けなくなった獲物を、あっという間に荒くれ者共が取り囲み、恐ろしい目に遭わせるっていう筋書きなのではと、容易く想像できたのである。

幸いあの日は、荒くれ者共の足が遅かった為、私達はなんとか無事に店に逃げ込む事ができたのではあるが。


何故、あんなに人気のある名の通った素晴らしいレストランが、あのようなロケーションにあるのか。


その理不尽について、今まで私は何度思いを巡らせたことだろう。

そして最近ようやく、理由らしきものに辿り着いたのである。

それはこういうことだ。


あの有名な評判の店には、世界中から客が集まる。

普通に予約を取ったのでは、きっと30年待ちくらいなのだ。

けれど何故か、40分程の待ち時間で、テーブルに通してもらえた私達。

それは何故か。


それは他でも無い、大方の客は、店に辿り着く前に、あの火炎瓶のカケラの罠にはまってなき者にされたのであり、言わばあの店に辿り着くのは、精子が卵子に辿り着くのにも似た、過酷な道のりだ、ということなのである。


あの店に辿り着き、あの素晴らしい料理にありつく為には、荒くれ者や不潔な道路や下品な落書きという数々の苦難を乗り越えねばならないのであり、つまりはそれを通過した勇者こそが、あの店の料理を堪能するに匹敵する、相応しい資格を有するのだという、ZUNI CAFEからのメッセージなのではないだろうか。


そしてあの日、私達は勝った。


落書きや、瓶のカケラや、舞い踊るゴミをかいくぐり、あのレストランの扉を、開ける事が叶った。

そしてこの世の物とは思えない程素敵なディナーを味わったのである。


みんなで、力を合わせたからこそ。



     

(続く)





















サンフランシスコでお散歩 その11

サンフランシスコへは長らく行っていなかったので、ファッションの感覚が掴めなかった。

私の中には、西海岸は緩い、という印象が漠然とあり、かつまた、マリン地区ののどかで開放的な雰囲気が強く心に残っていた為、のどかで開放的な服を着ていればいいのだ、という結論になった。

のどかで開放的な服とは何か。
それはパジャマである。

いやほんと。

私は、パジャマではないけれど、限りなくパジャマのレベルに近い装いであれば、サンフランシスコにフィットする、と思い込んだのである。

これはある種の心の防衛でもある。
私は忙しかったのだ。
アメリカにある学校に入学した為に、1ヶ月おきくらいに渡米しなきゃならず、ポテト達と行ったサンフランシスコ旅のあの2月は、1月に渡米したばかりの2月であり、かつまた、3月に渡米しなきゃならない2月でもあった。

フライト・アテンダントでも無いのにこの頻度で渡米を繰り返すと、人間は疲労する。
その疲労のせいで、私には、ばっちりキメる情熱も気力も残っていなかった。
ばっちりキメなければならないなら、私はサンフランシスコへは行けない、と思った。
でもパジャマでなら行ける。
きっとパジャマでも大丈夫。
パジャマは多分あの街に似合う。
いやむしろ、パジャマ向きの街だと言ってもいい。
パジャマこそが、サンフランシスコの正装なのでは。
そうか、そうだったのか。

というわけで私は、堂々とパジャマ(の様な普段着)を着て、サンフランシスコ空港に降り立ったのである。
空港に降り立って、予約しておいたスーパーシャトルへ乗って、ポテト達と待ち合わせしていたホテルへと向かった。
その頃までは、全然パジャマで良かった。

ホテルに着いて、自分の部屋に荷物を置いて、ポテト達をロビーで待った。
その時にも、全然パジャマで良かった。

しかしポテト達と会った時、私は自分の脳内で、何かがちょびっと崩壊する兆しを覚えた。

ポテト達が、パジャマを着ていなかったのである。
てっきり4人とも、それぞれお気に入りのパジャマを着て、ホテルに現れると信じていたのに。
何故か彼らは、パジャマではなかった。
彼らはむしろ、キメていた。
いわゆる、おしゃれってやつ?
ポテトなんて、ワンピースだし。

それでも私は、負けなかった。
どんなに4人がオシャレしていても、正しいのは私、という確信があった。
だって、ここは西海岸だぜ。
しかも浮浪者だらけの街、サンフランシスコ。
そこにはやっぱり、パジャマでしょ。

それはある意味、的を得ていた。
私の方向に近い服装でうろつくおじさん達は、街にいっぱいいた。
でも、ポテト達の方向に近い服装で歩くおねえさん達も、結構いた。

私は少しずつ、自分が間違えている様な気もしてきた。
私の方向に近い服装でうろつくおじさん達の方が、限りなくジモッてぃーな感じはもちろんしたよ?
地面で寝てたりして、すごーくリラックスしていた。
もう、サンフランシスコに、体全体で馴染んでるって感じ?
そんな、サンフランシスコの申し子みたいなおじさん達と近い服装で歩く私こそ、よりサンフランシスコに、フィットしてるんじゃない?
でも、何かが。

なにかが違う気がする。

徐々に自分を疑い始めた私に、ポテトが告げたひとことは大きかった。
その日私達は、あの、みんなの憧れシェパニーズで、ディナーを食べる予定だったのである。だからワンピース着てるのよ、と、こともなげにパジャマの私にポテトは言い放った。

がーーーーん。
という音が頭の中に鳴り響いて、ようやく脳内麻薬の世界から足を洗った私。

パジャマじゃいかん。
パジャマの上から、玄関先のゴミ袋の中に入っていた、大中で買った700円の綿入れを羽織っているその姿で、シェパニーズへ行ってはいかん。その綿入れは、捨てる予定でいたのだが、家を出る時、ひょっとしたらサンフランシスコは寒いかも、と思って急遽ゴミ袋から引っぱり出して着て来た物なのである。

もしや私は、最低なのでわ。(観光客として)

しかしもう、全然後の祭りであった。

自分が最低である事に気付いた頃には、既にシェパニーズは目と鼻の先にあった。

だから私はそのまま、シェパニーズへ行った。

あの、みんなの憧れ、シェパニーズへ。

幸いにして、その日はカフェの方の利用と決めていた為、ドレス・コードは無いに等しく事無きを得たが、食事が終わった去り際に、通りかかったレストランの窓から見えた光景に、パジャマの私は震え上がった。

髪を結い上げた完璧メイクの女性が、レッドカーペットを歩く女優が着ているような光沢のある上品なグレーのドレスと、百カラットくらいあるかと思われる輝くネックレスをまとった姿で、優雅にお食事をされていたのだから!

翌日私は、ポテトの友人でスタイリストであるH女史の厳しい指導の元、サンフランシスコ滞在最終日に行く予定になっていたシェパニーズ・レストランの為のちゃんとしたお洋服を、ダウンタウンのブティックで揃えたのである。

もう、本当に反省して。

   
    中華街にあった本物の馬を使ったメリーゴーランド

(続く)























サンフランシスコでお散歩 その10

 どんなに悲しい時だって、ファーマーズ・マーケットの白いテントを見たひにゃあ、オイラは駆け寄ってハッピーハッピー♪ と私の脳内歌謡にもあるように、私はファーマーズ・マーケットが大好きである。

ファーマーズ・マーケットには夢がある。

ファーマーズ・マーケットには希望がある。

ファーマース・マーケットは、そこでしか味わえない、美味しいお惣菜やお菓子にあふれている。

世の中に、ファーマーズ・マーケットを嫌う人はいない。

ファーマーズ・マーケットのことを、大国アメリカの陰謀だとか、腐敗した天下りの巣だなんて言う人はいない。みんな、ファーマーズ・マーケットが大好きだからね。

さて。

そんな盲目的なまでにファーマース・マーケットを愛する私を、ポテト達がサンフランシスコのフェリープラザビルディングで開催中のファーマーズ・マーケットに連れて行ってくれた。

これについてはもう、楽しい、という言葉しか出て来ない。

それ以上のレポートは無理である。


    


買い食いの喜び。

買い込みの喜び。


こんなゴキゲンな奴らもいたよ! 楽しいねったら楽しいね!

              



チーズを買って、ドライフルーツを買って、巨大な生魚を買いそうになった直前に目に留まったのが、オーガニック・ローのお店であった。

    


食品に45度以上の熱を加えずに調理すると、酵素がしなないので、体にいいのである。

私はこの考えにそんなに共感する前に、ローフードの達人の作る創作料理に出会ってその美味しさにびっくりして以来、このローフードのファンなのである。

出会いという物は大事である。
もしもしょっぱなにマズいローフードを食べていたら、私のローへの見方も180度変わっていただろう。

このように、私は何かに対して否定的な見解を持つ人物に会うと、はじめの出会いが悪かったのね、とただシンプルに考える。もしかしたら、はじめどころかずうっと悪いのかもしれない。

はじめどころかずうっと出会いが悪いという事は、その人物は運が悪いのであり、徳が無いのであり、人生悲しい事ばかりなのであり、大変気の毒なのである。

しかしそんな気の毒な人物だって、きっと楽しいファーマーズマーケット。

もしもここに住んでいたら、新鮮な野菜や果物をいっぱい買って帰って、美味しい物を沢山作れるんでしょうに。でも私は旅人だから、巨大な生魚は買わない方がよかったのである。

変わりにチーズやドライフルーツや、チョコレートを沢山買いました。
めでたしめでたし。

      

(続く)







             














サンフランシスコでお散歩 その9

 さあ、ミッション地区のお話をしようじゃないか!

いつになく私が前のめりなのは何故?それはね!ミッションて言う場所が、そんな所だからだよ!

ヒスパニック系の人がたくさん住んでる街ミッションは、やっぱり夜間の女の一人歩きは禁止って、ガイドブックには書いてあったけど、昼間行った感じじゃあ、中々見応えのある楽しい街だったのさっ。

     

この写真を見ると、いかにも楽しそうだよね!

でも実際は、もっと薄汚れてて、ちょっと陰惨な気配も見え隠れする場所だったよ!

アミューズメント・パークと実際の街の違いは、そういう所にある。
どんなに見目形を真似ようとも、ハウステンボスやディズニーシーに、暗い生活の影は無い。
そこには貧困や差別に苦しめられる労働者の悲哀は無く、隙あらば隣人を欺こうという、心の闇も無い。

だからなんだってのよ。

私は自分が旅行者である限り、別にそんな物を味わいたいと思った事は無いね。
ジャーナリストじゃないんだから。
土地の人の苦しみの気配なんてのを、かいま見てこそ本当の旅だなんて、思った事もねえよ。

だから、頼むから一介の旅行者である私に、混沌を見せつけるのはやめてって言ってるのに。

サンフランシスコは、昔はもっと、どこもかしこも、静かでロマンチックな街だった。
だけどいつの頃か、ダウンタウンのおおよそ半分が、やや緊張感を強いられる、ちょっと荒んだ場所になってしまったんだよね。

そんな中に、逞しく明るく生きる人々がいるかって?

私がミッションを見た限りでは、なんとなく普通にみんな生きていたよ。
時々、激しくラリッてる青少年や、歌舞伎町あたりでよく見かける様なムードのおじさんや、浮浪者の人がくつろいでたりする以外は、割とみんな普通だったよ。

だけど、可愛いお店はあった。うん。それは本当だ。
ちょっと、ニューヨークのSOHOみたいな、しっかりと隙無く創り上げられている、アート空間みたいなお店が。
私はそういうのが大好きでなのである。
 
    



     


全体的に薄汚れててカオティックではあるものの、独創的でアーティーな街、それがミッションであろうか。

しかしなんというのか、ここまで来てやはり感じるのは、西海岸にて時々漂う、だらしないのでは?とさえ思える緩さである。

私はカリフォルニアが全体的に好きである。

特にカーメル辺りに行くと現れて来る、しっかりと地に足をつけてこの土地の恩恵と共に生きるわ、というあのムードの作り上げる妥協の無い街の美しさや料理の美味しさが。

しかしこのサンフランシスコ、ダウンタウンは。

なんか、カンケーねー、って感じなんじゃない?

俺たちがカリフォルニアにいようがなんだろうが、関係ねえよ〜っていう。

そういう緩さが、あるんじゃないのかね、この街には。

十分に現状に着地してないこの感じは、多分新しい政策でよその土地から沢山の人たちが流入してきたという部分も影響しているのかもしれないけれど、都会特有の、土地との融合の無さ、もしかするとそれは東京にも言える部分があるのかもしれないけれど、そんな融合の無い位置で育まれている、なんともいえないカオスが、このダウンタウンにしみ込んでいる様な印象を、私は強く持ったのである。

これはアミューズメント・パークとはまた別の、浮遊感、リアリティーの無さと言えるのではないだろうか。

住む人の心の陰影がはっきりと浮かび上がっているからといって、それがリアリティーとは限らない。そういう奇妙な、非現実の浮遊空間の中に、サンフランシスコのダウンタウンは漂っているのである。

あたかもドラッグかなにかの影響で、現実の景色と内面の混沌が、視野の中でくぐもりながら混ざり合っているかのように。




(続)












サンフランシスコでお散歩 その8

 前回、遠い昔の記事の投稿において

とここまで書いてその件について謝っておかねばなるまいと気付いた。大人として。大人の女として。大人の、ミステリアスな妖艶な美女として、謝っておかねばなるまいと。

なんでこんなに投稿が開いてしまったのか。

本当にごめんなさい。
他のニヒマガ著者達は、本当にせっせと真面目に期日通りに投稿してるってのに、この妖精と見まごうばかりの輝く美女の私ったら、なんでちゃんと出来ないのかしら。

それはひとえにあれである。

この旅が、もうずうっと昔の事だからなのである。

旅日記のモチベーションてさあ、みんなそれぞれあると思うけど、私の場合は、ねえねえ聞いて聞いてこんな事があってさー、っていうやつだから、もうずうっと前に済んでしまってさんざん反芻した後の旅の事についてあれこれ書くのは、ちと、ハードルがあるんですよ。
特に私の場合、あの後数えきれない程旅に出てるからね。

でも書くけどね。始めたからには終わらせてみせるよ。大人として。大人の女として。大人の、大輪の薔薇の様な美しい女として。

というわけで、前回の投稿で、集団旅行にも関わらずひとり戦隊を脱して男に会いにいって酷い目に合わせた話を書きましたが、私にはもうひとり、知らないうちにいつも酷い目に合わせてしまう男がいるんである。

前回の投稿の同じ日の遅い午後、私はその人にも会いました。

その人は昔なじみのスコットランド系アメリカ人の男性で名前をマルコム・マクドナルドというのである。
何故わざわざここでフルネームを明かしたのか。
それは、マルコム・マクドナルドを検索してもらうとわかるのだが、これは昔のスコットランドの王様の名前だからなのである。

結構おもしろい歴史を、この名前から辿る事ができるので、皆様への贈り物として、フルネームをお教えしたわけです。

で、この人物は昔遠い山の街に住んでいたのだが、わけあってサンフランシスコのマリンに引っ越して来て早10年くらいたっただろうか。

ですので私にとって、サンフランシスコと言えばマリンだ、という時代が何年も続いた。マリン地区というのは実にのどかで瀟洒な場所で、私はこのマルコムに連れられて端から端まで探索したものだが、実にのどかで瀟洒な場所なのであった。
瀟洒と言っても、新しい今時なアメリカのモールって感じではなく、もっと暖かく沈み込む様なくつろぎに満ちた、丁寧に生活を送る人たちに育まれている土地といった感じなのだ。

それに比べるとダウンタウンは荒れ地であり掃き溜めである。
だからダウンタウンへは、そんな場所に耐性のあるポテト達と一緒でなければ到底降り立てなかったであろう。貴重な体験だ。長く時間のたった今では大変感謝している。

というわけで、そんな素敵なマリンに住むマルコムなのであるが、そもそも私がサンフランシスコにいると聞いて、もちろん会おうよという話になるではないか。昔なじみなのだから。
そして彼は楽しい遊びの計画を立ててくれた。

車でダウンタウンまで私を迎えに来て、そのままマリンのまだ私の見ていない地区を、ドライブしようと言ってくれたのである。
ありがたいではありませんか。折しもあの日私は午前中に、ダウンタウンの顔とも言える恐ろしいテンダーロイン地区で、ジャンキーに囲まれる荒んだ体験をしたばかりなのだし。

午後はマリンの爽やかな風に吹かれて、いやなことみんな忘れちゃおうじゃないの。ってなもんであり、私はそれだけを心の支えに、あの日数々の苦難を乗り越えたのである。

ところが。

マルコムは来た。

でも、マリンへは行かなかった。

それは何故か。

マルコムの家が、火事になったからである。

火事でぼうぼう燃えている家をほっといて、とりあえず会いには来てくれた。

なんでも出火したのは明け方近くで、それからずっと眠らずに、近所のアパートに無事そうな荷物を移し、くすぶる家をあとにしてくったくたな状態で、会いに来てくれたのだそうである。

マルコムの手には私への誕生日プレゼントが握られていて、なんだかそれが涙を誘った。

そんな事情なので、彼としてはマリンを案内したあと遅くなれば私を彼の家に招待しようと計画していたらしいのだが、その全ての計画を変えねばならず、私はマリンのさわやかな風に当たり損ねたのである。

私達はダウンタウンの桟橋に出て食事をし、まあそれでもじっくりといい時間を過ごして別れたのであるが、私の心には一抹の、なんというのであろうか、無力感? のような物が残った。

何故なら彼は、私と会う度に、例外無く災難に見舞われるのだから。

過去、20年近くに及ぶ友情の中で、それは常に繰り返されて来た事なのだ。

彼のコンピューターがクラッシュし、大事なデータが全て消えたのは、初めて一緒に映画を観に行った日だった。

ランチを食べれば交通事故に遭い、ドライブをした日には台風による洪水で、家が浸水し避難しなければならなかった。
つまり今燃えてる家は、浸水したあと住めなくなった家をあとにして移り住んだ新しい家なのである。

そんな事ばっかり。

だから私は自分からは決して彼に会おうって言わないのに。

彼は根気よく連絡をくれて、こうして会いにきてくれるのである。

この相関関係に、何故気付かないのか。

気付かないのなら、もうちょっとそっとしておいてあげようではないか。

というわけで、マリンのドライブは逃したが、終日ダウンタウンで過ごして結構私には楽しい一日になった。

思えばあの旅は、ダウンタウンを満喫しようというものだったし、そういう時には他の土地の風を入れない方がよかったのかもしれない。

ダウンタウンは掃き溜めみたいな街だけれど、結構魅力的だということもよくわかったし。

    

(続)






























サンフランシスコでお散歩 その7

さて、そろそろ例の件について書かねばと思う。

 いや、書かねばならないわけではない。誰もあれについて書けよ、なんて言ってない。むしろ書いて欲しくなんてないかもしれない。だから書かねば、というのは自分の事情だ。
サンフランシスコ旅の事をここに洗いざらい書かねばならない、と思い込んでいるのは私だ。
なんでそう思い込んでいるのだろう。人は知らないうちに、あれこれ思い込んでるもんだ。そういう生き物なのだから仕方が無い。

                                                      *

 
例の件とはなにか。 それは道に迷った件である。 はっきり言って、この旅行中、ずいぶん私達は道に迷った。 私達、と書くのに抵抗を感じるのは、私はこの旅においてはあくまでもゲストであり、私をいろんな所に連れて行ってくれるのは、この旅を企画したポテトだと固く信じているからだ。

 ポテトはサンフランシスコを詳細に調べ上げており、完全にまかせてもいいはずだから、迷ったのはポテトなのであり、あれが迷ったのではないとするならそれはポテトの遊び心である。
 そしてそんなポテトの奇想天外な遊び心によって、私達は変なバスに乗ったり変な地下鉄に乗ったり変な土地に着いたり乗ってたタクシーがパンクしたりして実に楽しかった。

 というわけで、どんなに道に迷っても、みんなと一緒ならそれは楽しい冒険なのだ。 ポテトの才気溢れる旅の演出は、それをおおいに教えてくれた。 
だから私が書かねば、とわざわざ腹をくくっているということは、例の件とはそういった楽しい出来事のことではないという事がおわかりだろうか。 おわかりでなくてもいいのです。 

そろそろ書き始めます。 


                   *



 私は道に迷ったのである。 

 サンフランシスコで。

 たったひとりで。 

 みんなは相変わらず楽しい冒険の旅に出ていたあの日、私はひとりになった。

 何故か。 

何故、楽しいグループ旅行の最中に、妙齢の美女が異国の地でたったひとりになる必要があるのか。 

 もうおわかりであろう。 おわかりでなくてもかまわないのだが、それには男が絡んでいるに決まっている。 それ以外に、なんの事情があろう。 男だ、男に違いない。 
コレなんじゃないの?とオヤジが小指を立てるアレである。あ、それは女か。 

 みなさん。 

みなさんには、忘れ難いほどに美しい時間を共有した相手というのはいますか。 

背景には薔薇の花が咲き乱れ、そのむせる様な香りで失神してしまうが如きの麗しくもロマンティックな時間。 

 わたくしにはいる。 
 そんな相手が。
 
まるで中世ヨーロッパの宮廷の庭にそっと開いた異次元の扉から、覗き込む事のできる妖精の園。虹色に光る月明かりの中、花咲き乱れる森がある。  
そんな幻夢の世界からやって来たような若者と、私は恋に落ちたのである。 

7年くらい前のことだ。 

しかし今回書かねば、と思ったのは、そんな甘く美しい恋の物語ではない。 
今回書かねばと思った例の件とは、そんな麗しい夢の相手と、もう一度会おうと画策した結果私に訪れた、地獄の様な体験談なのである。

                  


とにかくもう一度会おうと思った。 

会おうと思った背景には、いろんな必然的な理由もあるのだが、素人にはわかりにくいであろうからここに書くのはやめておく。大竹はなんだか必然性に駆られて、別れて以来まったく連絡も取らずにいた過去の恋人に会いに行った、そう思ってくれればオッケー。 

                     *


サンフランシスコ郊外の街に住むそのアイルランド系の若者は 

失礼。

なんで私の恋の相手が若者なのか、という所に疑問を感じられる方もわずかながらおられるかもしれないので改めて説明させていただくが、つまり大変年下だということである。 

で、この若者は歌い手なのであり、たまたまポテト達と私がサンフランシスコにいる間、滞在中のホテルから徒歩で行けるほどの距離の会場で、内輪向けのライブをやる、という情報を得たのである私が雇った探偵から。冗談。
それじゃストーカーですから。 

ま、恐らくは未だに私に未練を持っているのかもしれない若者本人からの情報だったため、私は何も考えずに、会おう、と思ったわけです。そもそも私はこの若者の音楽の大ファンですから、関係が切れても音楽まで失うことはねえべ、とかねてから思っていた。 

だから会いに行ったのです。歌を聴きに。

そんな純粋な行動のどこが、あんな恐ろしい事態を招くほどに神の逆鱗に触れたのか、未だにわけがわからないのである。


                    *

 
とにかく私はひとり、徒歩で会場に向かった。 地図は大変わかりやすく、馴染みのダウンタウンから真っ直ぐ歩いてゆけば、なんの問題も無く着くはずだった。 

 ところが。 

賑わうダウンタウンから数ブロック歩いた辺りで、街の様相がガラリと変わったのである。 

 暗い。 

 昼間なのに、なんでこんなに暗いの。 
空気が澱むがあまりに、陽の光を通さない、そんな現実、初めて見ました。

 濡れた様なアスファルトの道にはゴミが溢れ、長く手入れを怠っているのであろう汚れて色褪せた軒の低い建物群が並ぶ。

その足元には無気力な目をして座り込む住人らしき人々。 
服は敗れ、肌は汚れていて浅黒く、異様な集中力で私を注視する、力無く見える体に不似合いな強い目線。 

しばらくそんな通りを緊張しながら歩いていくと、風景はますます混沌を極め始めた。 

数人の男性が立ち上がってひとつに集まり、私を見ながらなにやら相談をし始めたので、私はなにかあった場合に駆け込めるような建物を探した。 

すると一軒のホテルが目に入った。 
ホテルだ。
ホテルなら大丈夫。

ホテルならきっと優しいコンセルジュがいて、お嬢様どういたしましたか、と私をかくまってくれるにちがいない。 その人は黒い髪に青い目をしたナイトで、私を命がけで守ってくれることだろう。 

 ところが。 

よく見るとそのホテルは、通りに面した窓一面に、なにやら内側から紙が張り巡らされており、中が見えないようになっているではないか。 
これは、中でこんな事やあんな事が行われているから、ポリ公に見えないようにしておこうぜ、という意味のアレではないのだろうか。

そんなところに逃げ込んでどうする。 

事態は深刻さを増し、真昼間なのに何故か薄暗い陽の当たらないその街で、あまり親切そうじゃなさそうな男性数人が私を目指して歩いてくるとなれば、私は逃げねばなるまい。

しかし先方を刺激してはあれなので、私はあたかも通りを渡るだけよ、まだこのお散歩を楽しんでいるの、的な様子を装って通りをゆっくり横断し、1m程に迫ってきていたひとりから3m程の距離を確保した。 

 その時である。

 白馬の王子様ならぬ、オレンジ色のキャブが現れたのは。 

はっきり言って、そのキャブも街や男性たちと同じ位汚れていた。 
しかしキャブの運転手は個室にひとり。私をつけている男性たちは5人。

 それに個室に入ってしまえば後ろに回った私が有利ではないのか、たとえキャブのドライバーが悪い人だとしても。 

という咄嗟の判断で私はキャブに乗り込み目的地を告げると、そのドライバーさんは大変親切な人であっという間に私を目的地に連れて行ってくれたので、チップを山ほどはずんだらなんだか涙ぐんでいた。 

いや、涙ぐみたいのはこっちですよ。

 命を救ってくれてありがとう。 

ドライバーさんもあの街の人達と同じ位汚れているのに、心は錦だね。 

するともしやあの街の男性達も、心は錦だったのだろうか。 彼らは別に、悪い目的で私を追っていたわけではなかったのかもしれない。 もしかしたら、目的地までおんぶしてあげましょうか、とか言いたかったのかもしれない。 

でも後の祭りである。 

それにしてもこの恐ろしい体験後、私はしばらく細かい震えが止まらなかった。

 のちに調べるとそこは、サンフランシスコでも特に治安の悪いとされている、テンダーロイン地区と呼ばれている場所であることがわかった。 何故テンダーロインと呼ばれているかと言えば、そこを担当する警官はいい報酬をもらえるので、テンダーロインステーキを食べられるよ、とかいう意味だという説があるらしい。 

それくらい危ない場所に私は何故か迷い混んでしまったのである。 
まさに危機一髪なのであった。


                   *



さて、無事にコンサート会場へ着いて無事に彼氏に会ってめでたしめでたしだったかというと、めでたかったのは私だけで相手は突然の奇襲攻撃に面食らったのか、かつては冷徹な程の完璧主義者で、よく鍛錬された痩せ気味の長身に印象的なコッパーブロンドの巻き毛、そして大きく澄んだ空色の瞳で客席を優しく見下ろしながらたおやかに歌う姿は、まさに天使が宿るとも言われた程の、息を飲む様な美しく完璧なステージングを誇りとしていた彼であったはずなのにその日はすっかり調子を崩し、横笛の音程を激しく外した上に歌も音痴になっちゃって、会場から失笑を買う事態へと発展してしまったのである。 

私はそれをしっかりと録音して持ち帰り、ホテルでポテト達に聞かせて馬鹿笑いしたのは言うまでもない。

そういうわけで。

あの日本当に恐ろしい思いをしたのは、私ではなく彼なのかもしれない。
 
自分の弁護の為に言わせてもらえば、そうされてトントンくらいいけない事を、その若者は私にしたのであると断っておこう。

        


もう二度と会いにいかんから安心しれ。


(続く)


サンフランシスコでお散歩 その6

 長らくご無沙汰していたのは、別に怠けていたのではない。

パスワードがわからなくて管理者画面に辿り着けず、パスワード再登録の為に必要な情報もわからなくてそれも出来ず、親とはぐれた森の中の子鹿の様に迷子になっていたのである。なんていたいけな私なのであろうか。この大きな黒目がちの瞳に涙を浮かべながら彷徨っている姿を、見せてあげたいぐらいであった。

なにはともあれ入れたのでまあいいが。

という事から、迷子にちなんで今回はサンフランシスコの悪名高いテンダーロイン地区で迷子になった話でも書こうかと思ったけれど、もっと書きたい事があるのでそれは後回しにする。

もっと書きたい事とは何か。書きたい事、というよりは、お知らせしたい事、と言うべきかもしれない。
お知らせしたい事とは何か。

わたくし晴れてこの春、結婚いたしました。

なんて事ではなくて大変残念ではあるが、これだってそれと同じくらい大事な事である。

だって、サンフランシスコには、最果てのきのこ野郎がいたのだから!!!

じゃじゃーーーーん!!!

わかります。

言葉で聞いたって、それがそんなに大事な事には思えないって事くらいは。
そこらへんの土に生えてるちっぽけでふにゃふにゃでカロリーも無く、茶色いだけの湿気った地味な野郎が、人生の一大事結婚に匹敵するくらい大事だなんて、普通は思いもよらないに違いない。

わかります。
わかりますよ。

ですからわたくし、ここにお写真を用意したのでございます。
サンフランシスコのきのこ野郎が、どんなに一大事かって事を、皆さんにわかってもらう為にね。

まあ、見るがよい。


 
きのこを売っている。


きのこを。


きのこをだ。


きのこちなみグッズだって売っている。よく見ると、日本のきのこの山も並んでいる。


きのこをだっ!! 動揺して手振れ。


きのこだきのこ。

きのこの事ならまかしておけ。


サンフランシスコの海沿いの店で、何故かきのこにこだわりまくるオヤジがいた。

いえ、実際、オヤジなのかどうかはわかりません。
しかし事件である事に変わりはない。

何故こんなにもきのこを。

何故きのこだけにここまでこだわるのか。

子供の頃、山で悪いきのこでも食べて、きのこに脳を浸食されてしまったのではないのか。

サンフランシスコの、海辺の店で、何故かきのこにだけこだわるオヤジがいたのである。

どうです。

結婚に匹敵する、一大事だとは思いませんか。

私は思いました。




サンフランシスコでお散歩 その5

 もっと早く更新しようと思っていたのだが、自分のブログの更新に心血を注いでいたのと、このブログ用のいい写真を中々選べなかったのとで、こんなに遅くなってしまいました、と書きつつ、1ヶ月1本より遅くなる事は無い優秀な私の事を誇りに思います。

こんな素敵な連載をさせてもらえると知っていたら、もっと意識的に美しい写真をたくさん撮っておいただろうに。と思う。最近私は写真にあまり熱心ではないもので、旅行に行っても写真を撮らない事の方が多いのである。
サンフランシスコについては更に写真が無い。人に誘われ人の計画に乗って人に案内してもらう、という受動的な旅だったせいか、旅行中全般に亘ってまるで赤子の様になっており、自立した大人らしい能動的な行動ができなくなっていたのである。


                   *


さて今回私が是非書きたいのは、ブルーボトルコーヒーの事だ。
私を誘ってくれた姉妹がものすごく気に入っているサンフランシスコのコーヒー屋さんである。

注文すると、サイフォンごとテーブルに運ばれてくるそのコーヒーは、なんと私が大昔、まだコーヒーを飲めなかった子供の頃に、湯気の立つコーヒーカップを憧れのまなざしで見つめながら、きっとこんな味、と夢見た、そのままの味がしたのである。

                                         


そんな事って、中々無い。
私には、かつてピザ嫌いだった頃に夢見ていたピザの味とか、未だ出会った事の無い理想の紅茶の味とか、こんな味ならいいのに、と思う握り寿司の味などいろいろと夢があるのだがそういった物には未だに出会っていない。

あ、もう一個ある。

チビクロサンボに出て来るホットケーキの味を求めていろいろ食べてもみたのだが、それに匹敵する物にも未だに出会っていない。匹敵とは言え具体的にどうというわけではなく、単なる想像上の味なので、出会う確率は低いのである。ていうか普通出会わない。

ところがなんと、ブルーボトルコーヒーの味は、私の夢の味だった。
絵本の中の物語が、本当になってしまった様な驚き。
心の真ん中にまっすぐ入って来て、全身をうっとりで満たすみたいな、そんなコーヒーをブルーボトルは飲ませてくれたのです。

そしてここには、美味しい食べ物もある。
地元の人が朝ご飯を食べにくるお店だからだ。

こんなのとか。



こんなのとか。



そして、シェパニーズでも使われていた、サンフランシスコで一番美味しい、アクメブレッドのパンを使ったトースト各種など。

こんなお店で毎朝御飯を食べて、それから1日を始められるなんて、なんて素敵な人生でしょう。

私達の滞在していた幽霊屋敷、じゃなくてホテルは幸運な事にこのブルーボトルコーヒーの目の前だった為、朝起きたら通りを横切ってすぐにこの店に行けたのだ。
ホテルからお店までほんの2分くらいなのに、起きてからお店に入るまでのわくわく感たらなかった。まるでプレゼントを開ける時みたいな、幸福な瞬間だった。

ブルーボトル、カモーンTokyo。
実は渋谷あたりに一軒あるらしいのだが、サンフランシスコの雰囲気とはまたまるで違う物なんだそう。

                    *


ちょっと短いけど、今日はこれで終わります。

いつもは、いったん下書きにしまっておいて日を変えて続きをまったり書き続けるのだが、どなたかがこのjugemさんでは、下書きで置いといた文章が平気で消えるケースが多いとつぶやいておられたので、それは大変哀しいでしょうから、もうアップしちゃいます。

(続く)













サンフランシスコでお散歩 その4

シェ・パニーズの事はあまりたくさん語りたくない。
シェ・パニーズを言葉にしても、空しい様な気がするからだ。
 
   

シェ・パニーズは、小宇宙、という感じのレストランだった。
 
                                                  *

一歩中に入った瞬間に、特有の空気感の様な物にふわあっと、包んでくれる様な店がある。
その店だけの、完成された空気があって、隅々までその空気に満たされている。

そういうなんとも言えない、暖かくて切ない様な至福に満ちた空気感に包まれて、ずうーーーーっとそこにいたくなっちゃう様な、シェ・パニーズは、そんなお店だった。

    

私は基本的に、お店の雰囲気がそこまで完成されていると、味にはあまりこだわらなくなる。

もちろんそりゃあ、食べてみたらあり得ない程異世界的な味付けで、これは多分不法に地球に侵入した宇宙人が、身分を隠してレストランをやっているのであって、彼らにとっては地球の味付けもしくは食べ物なんてものそのものが、はなから理解できないんじゃないかしら、だからこんなお味になってしまったのね的なレベルにまで行ってたりすると、こだわるのこだわらないのの問題じゃなくなるのだが、ここで言うのはつまり、ある程度の星数をげっとんな上でのお味付けという意味でございまして、地球外レシピ的なお味でもいいとかそういうお話じゃございませんのよ。おわかりかしら下々の皆様。

そしてシェ・パニーズと言えばとりあえず料理は絶品だと言われているお店だけれど、私にとってはお店の雰囲気だけで既に大満足だったわけで、もう食べなくても、みたいな。料理の話はさておいて、みたいな感じなのである。

というのも、実はここのお料理が私にとって、噂に違わぬ超絶品だったかと言うと、そういうわけでも無かったのである。

とても美味しかった。
でも、かなりオーソドックスではあった。のである。

現アメリカのフュージョン系料理というのはもっともっとエッジィで、あっと驚く様な斬新な美味しさが蔓延している為、それに比べるとシェ・パニーズのお料理は、やや前時代的な、気立てのよい奥様の家庭料理、という印象だったのである。おとなしい、っていうのかな。

平凡、ていうのとはまたちょっと違う。
この奥様は、多分アート系が入っている奥様で、学生時代はインスタレーションとかやってたかもしれない。ファッションも一風変わっていて、80年代のダイアン・キートンみたいな感じだ。
ボーイフレンドはウディ・アレン。

そう、まさにダイアン・キートンが作ったみたいな料理なのである。厨房の奥から今にもけだるそうに出て来そうだ。美味しかった?そう?今は味付けよりも素材よね。あたしは最近そんな感じ。なんて言いそうな気配がふんぷんと。

    


まあなんて言うんでしょう。ダイアン・キートンは、そんなに工夫しなさそうじゃなくて?
でも、古風なレシピに忠実に従うタイプでもない。そんな感じ。

もしかしたら、オーダーした料理にもよるのかもしれない。

けれど、カリフォルニアキュイジーヌというのは本当に底力のあるお料理で、実に様々に工夫された形での絶品料理の数々がカリフォルニア中にはびこっている為、私が今まで食べたカリフォルニアキュイジーヌの中ではこのシェ・パニーズの味は、中程度に美味しい、という印象だったのである。

しかしだからと言って、ここに足を運ぶ必要は無い、とかいう話ではない。

先ほども書いた様に店の雰囲気が素晴らしいのであって、そしてまたオーダーした物によってはより素晴らしい味に巡り会えるのかもというポテンシャルも感じさせてくれる、大変素晴らしいレストランなのである。

   

特に厨房がオープンになっており、客の侵入を快く許してくれる辺り、ダイアン・キートンは本当に誇りを持って自信を持って料理を提供してくれているんだな、というのが伝わってくる。

そしてなによりも、料理のエネルギーがいい。
よい素材を使って、丹念に料理されている、そう感じさせてくれる味なのだ。
多少インパクトが薄くても、あるいは多少味付けが好みに合わなくても、根本的な所がなんだか正しい、そんな感じのお料理なのである。

しかも食べているうちに、どんどんどんどん幸福になってくる。
それは店の空気にも理由があるのかもしれないけれど、シェ・パニーズはとにかく、それ全体がひとつの完璧な、ちょっとわくわくする様な空気を醸し出す、小宇宙的なお店なのである。




                                                    *


ところで私の悲惨なファッションは、シェ・パニーズで不評だったかというとそんな事は無く、その日はカフェの方の利用だったので、思いやりをもって受け入れてもらえたのである。

しかし二階のカフェから降りてくる時、ちらりと見えた一階のレストランの窓際の席には、シルクのフォーマルドレスを身にまとったお上品なおねいさまが、お上品にお食事をなさっておられた為、数日後に再び、シェ・パニーズ、レストランの方を利用する事になっていた私達は、ていうか主に、アメリカ西海岸に対して失礼な程なめた了見を持ち合わせていたが為に、実際の所パジャマ以上の服を持参してこなかったと言ってもいいこの私は、本気でお洋服の事を考えなきゃならなくなったのである。

ところで、このブログでシェ・パニーズについてはもう多分触れないと思う。
だから、後日レストランを利用した時の話もここでちらっとしておこうと思う。

後日、再びシェ・パニーズを訪れた私達は、厨房の中にダイアン・キートンを発見した。じゃなくて、この店のオーナー、アリス・ウォーターさんが、偶然にもいらしていて采配を振るっておられる所を見る事ができたんですね。ラッキーでした。

レストランでは日替わりのコース料理をいただいた。
デザートに乗っていたあるパーツが美味しくて、店の人を呼びつけて余分に買って持ち帰りたいとかなんとかくだを巻いた記憶がある。

私の服装はどうだったかと言えば、同行者ジュエリーがスタイリストだった為、サンフランシスコ ダウンタウンでお安いけれど気の利いた服を見立ててもらい、あっと言う間におしゃれさんになった私は、周囲を圧巻する様な魅力を振りまきながら、問題無く入店できたのである。

(続く)





プロフィール


大竹 サラ

漫画家兼業ミュージシャン/14人編成の無国籍風楽団パスカルズのメンバーだったり小学館の少女漫画雑誌で連載を持つ漫画家だったり、他にも色々な顔を持つ人生旅だらけの女。

バックナンバー

カテゴリー

コメント

others


sponsored links